【誰が認識してるのか?】 一切の物事は認識する心の現れ

昨日は、宇宙には恒星がたくさんあって、生命がいるのか? 

というお話をしましたが、この宇宙の成り立ちが、わずかな物理定数のちがいで、生命どころか星も銀河も生まれない可能性はいくらでもありえました。

 

この宇宙に生命が誕生せず、宇宙を観測するほどの知的生命体がいなかったら、宇宙が「ある」のか「ない」のかわかりようがありません。

大乗仏教の「唯識」は「一切の物事はそれを認識する心の現れだとする」という考え方です。

 

かんたんにいうと「あなたが死ぬと世界は終わる。

世界を認識しているのはあなただから、認識の主体が消えれば世界も消える」ということです。

 

認識主体のいない宇宙は存在し得るのか?

存在するなら何のために?

宇宙は、人間に都合よくできているように、見えているだけなのか?

 

このような考えを「人間原理」といいます。

 

昨日お話しした「コペルニクス原理」の正反対の考え方ですが、物理学者や宇宙科学者も、この二つの思想のあいだで常に論争が起きます。

 

これがなんなのかは、また来週でもお話しします。

 

「この宇宙に、宇宙人がいても、いなくても、おそろしいことだ。」

と、H.G.ウェルズが言っていたような気がします。(記憶が定かでないので、言ってないかもしれません(笑))

 

 

「ABD個性運命学」