
現在、こころ、精神の病気と言われるものに、
うつ病、双極性障害、不安症・不安障害、強迫症・強迫性障害、心的外傷・ストレス因関連障害、統合失調症、パーソナリティ障害、アルコール関連障害、薬物関連障害、行為依存・関係依存、睡眠障害・ひきこもり・非行、摂食障害、認知症、意識障害、記憶障害、身体症状症・関連症、解離症・解離性障害、注意欠如・多動症・多動性障害、自閉スペクトラム症・コミュニケーション障害、原局性学習症、運動症、性別違和、秩序破壊的・衝動制御・素行症群、パラフィリア障害群・・・・・
などなどあり、各々はさらに細かく分類されます。
ふつう誰でもこれらに当てはまるものがあります。
まったく当てはまるものがない人の方がよほど病的といえるでしょう。
よってこれらは、むしろ個性といえるものではないでしょうか?
たとえば不安症と不安障害の違いというのは、ある症状が原因で日常や社会生活に支障が生じた場合に「障害」とされ、治療が必要となります。
つまり「不安症」であるだけなら、べつにほっといてもかまわないわけです。
しかし昨今の一般での扱われ方はどうでしょう?
外国ではどうだか知りませんが、我が国では「病気」、たとえ風邪であっても「病院にかかっている」は、「悪いこと、本人のせい」みたいに取られてしまうことがあります。
それが区別(差別)の正当化要因としても利用されます。
そこからさらに「おもてなし」や「忖度」の悪い面の結果として、本人が症状とは認めない、病気に見られたくないから隠す、といったことになります。
だから自分の個性や特色であっても、人に相談したり、カウンセリングや病院へ行くことも控えられてしまい、さらに社会からの疎外が進みます。
これは単に言葉や表現の問題が原因かも知れませんが、病気や症状という訳語がよくないのかもしれません。
私個人の意見ですが、これらの症状は病気などと呼ばず、個性として、多少の社会的逸脱も大目に見るべきだと思います。
多数者が我が身のわずかな規律を守るために、少数者の行動を厳しく制限していいとは思えない。
ましてや病気扱いとは言語道断。
個性を尊重すると口で言うのはたやすいですが、それはそれぞれの個性で互いに迷惑を掛け合うことだと思うのです。
それを受け入れられるのか否か。
生命の進化は、遺伝子の「突然変異」が元です。
我々は、「規律正しいロボット」などではない。
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