【神が「光あれ」と言ったから、光があった】

近代言語学の父といわれるフェルディナン・ド・ソシュール(1857-1913・スイス)は、
「名付けるから、それが現れる」
と言いました。

先にイヌが居てイヌだのdogだの名を付けるのではなくて、イヌという名を付けたからイヌが存在した。
この考え方は我々にはふつうに違和感がありますよね。名前はどうであれ、先にイヌは居ただろう、と。

確かに命名以前から、四本足でシッポをふるあいつは居たでしょう。しかしそれはオオカミとかネコとか似たような容姿の生き物の中で、オオカミやネコと区別されたからイヌが存在する。つまりイヌを規定するのはイヌ自身ではなく他の存在である。

ちょっと難しいですかね? しかし言語認識は私たちの認知そのものです。「あ」を定義づけているのは、「あ」自身ではなく「あ」以外の「い、う、え、お」である。

本来のまったき完成された幸福から不幸が切り取られて本当に不幸が現れる。逆に不幸がなければ幸福は規定できないのか? こういうのを構造主義的思考といいます。この考え方を「個性」にあてはめるとどうでしょう?

ソシュールは天才言語学者ですが、しかしね、そんなことはもう2000年以上も前に、我が国の「言霊(ことだま)」であるとか、聖書の「始めに言葉ありき」で、とうに知られていることなんですね。やっぱり先人ってすごい。