【個性を解き放つ】

よく、「あの人は善い人だ」という言い方がされます。

その「善い」とはどういう基準か? その善人はいつでも怒らないのか。けしてNoを言わないのか。
この世の誰かの黒字は誰かの赤字だからその善人はいつも損ばかりして、終いには自分の生活が立ち行かなくなるのか。そもそもその人は自分のことを善人であると自覚しているのか。けして悪を為さず常に善であるべきと心がけているのか。もしなにか過ちがあったならば、人を責め、自分を責め、苛むのだろうか。

どうも、なにか違うような気がします。
おそらく、自分や世間の基準で善悪を判断しているうちは、ちょっと違うのだろう。
それに常に善でなければならないというのも捉われのひとつではないか。
世間の基準とか、自分の我で判断するのではなく、神ならどう考えるか? と思ってみるのはどうだろう。
そうして我の判断ではなく、神意に適っているならば、べつに腹を立ててもいいし、Noと言ってもいい、儲けたって損したって、神の意思ならばそれは正しい。
必要なのは神の意思を知り、個々の判断に捉われなくなったとき、逆説ではあるが、真に個性が自由自在になれるだろう。

自分の個性を自由に解き放つために、神意を知るためにはどうするか? 
これも逆をやる人が多いのですが、やはり、みなに感謝したり、祈ったりが、唯一の方法でしょう。