
情報化社会の現代では、SNSなど良く見せようという自分プレゼンに一生懸命な人も少なくない
リアルにお会いした時にはベラベラと言葉巧みに立て板に水のごとく流暢に長く喋る事が凄いかのような価値観が増えて、無理して頑張って多くの言葉や語彙力があるかのような言葉を並べられても不自然なだけ
その前の日頃の在り方と行動が言行一致していないで、賢いかのように見せる仮面を一生懸命被っているようでかわいそうです
台風や豪雨だって長期間無茶は続かない
その発言が、覚えたて仕入れたてのコピペの言葉なのかすぐにわかりますね
まだタネなのに実りかのようにすぐ味わいたくなり食べて(使って)しまうようなもの
無理してひねり出したしどろもどろの言葉なのか、自然に溢れ落ちた言葉なのか、省みてみればわかります
言葉のみならず教養もしかり同じですね
普段の在り方と行動が低いレベルなのに、覚えたての言葉や教養やテクニックや情報をひけらかすなど、不自然の極みですし滑稽ですし、『命と数』がズレてしまいます
大量の幸動と経験が入るコップがあるとするなら、そのコップに幸動と経験がいっぱいになり、サラッと限界点を越えて何かの拍子ににじみ出るくらいがホンモノですかね
マシンガントークで的を射る事はない
『命と数』を活かしてそのような人間に成長し、言葉も教養も知恵も自然と無意識にこぼれ出るくらいまで実力を磨いてまいりましょう
うっかりこぼれ落ちていいもの
それは教養
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日本の小説家
城山三郎は言いました
『僕が魅力を感じるリーダーというか人間は、常に在るべき姿を求めている事が一つ。
それから、生き生きしているという事。
それは教養とか文化に対する関心だけじゃなくて、人間に対する関心、好奇心を失わない事ですね。
三つ目がいやしくないという事』
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#個性運命学
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