なぜシュメル人の記録=成功法則なのか?

-古今東西、世界のリーダーたちは知っている-


その記録は、まず同地域の後代、後のバビロニアにおいて、ハムラビ法典(世界初の立法)の元となりました。

※(現在の考古学では、これより古い法典がメソポタミア地域で発見され、世界最古の立法ではないことが確認されていますが、ハムラビ法典が法制史における重要な文章であることに変わりありません)

 

 

ヴァシュナー アウラマズダーハ アダム フシャーヤティヤ アミィ   アウラマズダー フシャサム マナー フラーバラ

 

「アウラマズダの恵みにより、朕は王たり。アウラマズダは朕に国をば授けたまいたり。」(ローリンソン解読)

 

『楔形刻字 一文』

 

 

七日と七晩の間、大洪水が国土で暴れ、

巨大な船が洪水の上を漂った後で、

ウツ神が昇ってきて、天と地に光を放った。

ジウスドラは船の窓を開いた。

楔形文字版『大洪水伝説』

 

 

さらにその記録や情報は、現在のように数秒や数日で手元に届きません。

何か月、何年もかかって砂漠を超え、海を渡り、楔形文字はエジプトのヒエログリフ(聖刻文字)に影響を与え、何十年、何百年の間に、呪文のような上の刻文に見られる「アウラマズダー」(一個人なのかモノなのか、神なのかはっきりわかっていない)はペルシアにおいてゾロアスター教の神となり、シュメルの階級はインダス文明でヒンドゥー教のカーストの原型となり、シュメルの神々はギリシアをはじめとする地中海で様々な神々となり、ギルガメッシュ叙事詩以前の伝説が旧約聖書のノアの洪水伝説となりました。

そして数千年を経て、メソポタミア地域に広くみられる寡婦や孤児や年配者をいたわり祖先を尊崇する法が中国大陸へ伝わり儒教という宗教へ変化し、逆に法治の利用方法として、秦の始皇帝が自らの皇帝権力のための統治原理における唯一の正しい法とした、とされています。

 

数千年にわたる間、そして翻訳の間に、文字の形や音韻が変化し、さらには意味の変化も伴いながら、記録は法則となり、時には権力者の秘儀ともされ・・・ やがて地球の裏側、私たち古代日本の指導者にも伝わりました。

 

・・・エンリル神がルーガルザゲシに国土の王権を授けたとき、日の出る処より、日の没する処までの国土の目を彼に対してむけさせ・・・ 

『楔形刻字 一文』

 

上記など、わが日本史において、聞いたことがあるような口上だとは思いませんか?

 

もちろん、わが日本の古代にもシュメルの記録は伝わっています。

中国皇帝ですら数千年後に読んだのですから、5千年間と比較すると、わが国の指導者がこれを勉強したのはついこのあいだ、という感じでしょうか。

 

遣隋使や遣唐使の留学生は、大陸の先進的な政治体制や統治原理、医学や土木・建築技術など、様々なものを持ち帰りました。中でも学僧らがもっとも重視したのは、膨大な量を持ち帰った仏教関連の経典でした。(当時の日本の「寺」は、現在のような宗教施設ではなく、総合大学のような知識を扱う役所のようなところで、経典は輸入教材です)

 

隋・唐時代の長安は、当時世界一の国際都市で、都城西門の入口から始まる陸路シルクロードを通じて、西洋社会の様々な文物や人物を吸収しました。当時の中国ではすでに仏教は斜陽気味でしたが、長い歴史において数千に分かれた宗派は、正当な仏教ばかりではなく、ヒンドゥー教やバラモン教、ゾロアスター教や儒教が入り混じったもの、はてはユダヤ教、キリスト教、新興のイスラム教などの一神教、さらにギリシア哲学などまで取り込み、もはや本来の釈迦が説いた仏教とはほど遠い形態をなしていました。それらがわが国へ渡来し、すべてが「仏教」になりました。

 

これらの経典の中には、とうぜん天竺(インダス)や、メソポタミア発祥のものが多く含まれています。それらが仏の教えとは関係ないことを、当時のわが国の知識人や皇族方、豪族らはとうぜん知っていたでしょう。またそれを皆が読み解けたかどうかも不明です。当時の知識人は漢語を使いましたが、文字を読み下せても意味まで完全に理解できるとは限りません。記録のとらえ方や想像もかなり屈折してしまったかもしれません。

 

やがて、当時の日本の権力者にとって、一般には読ませたくない、知られたくないものは宝物としてしまい込まれ、難解、意味不明、とりあえず利用価値のないものの一部は古社などへ下賜され、誰にも解読されることなく現在まで保存されています。

ましてや民衆はもとより字など読めません。これらの経典は、神秘的な遠い国の神話とでも思えたでしょうか? または偉大な中華皇帝や、神孫の門外不出の秘儀である、とでも畏れたでしょうか。読めもしない人に大切な本は貸せないどころか触ってほしくもないですよね。