【愛語】

禅に「愛語」という実践すべき修行があります。

 

昭和初期の禅師に、永平寺六十七世北野元峰という人がいます。

 

彼が若いころ、母親が病気になり、実家に帰って看病しました。

無事に病気が治って再び永平寺へ修行に行こうとしたとき、別れ際に母親に言いました。

「お母さん、私はさらに真剣に修行をします。至らぬ私が、もしも堕落した坊主になって、人から『破戒坊主だ』などと後ろ指さされるようなことがあれば、もう二度とこの家の敷居はまたがない、そういう覚悟で修行に出かけます」。

そうしたらお母さんが、「馬鹿なことを言うのではない」と怒ったそうです。

「おまえが立派な高僧になれば、世間の人が大事にしてありがたがってくれる。そのときはこんな家など帰ってこなくてもいいのだ。でも、お前が人から後ろ指をさされるような坊主になったときこの家に帰っておいで。玄関から入ってくるのが恥ずかしいなら、裏口からでも入っておいで。お母さんは待っているからね」と言ってくれたそうです。

 

禅師は晩年、この思い出を人によく語っておられたそうです。

「愛語」とはこのことですね