【学問】

中国宋代・神宗の宰相、王安石は自分の学問のやり方について次のように述べています。

 

「かつて古の学者は、問うに口をもってするが、伝は心をもってする。聞くに耳をもってするが、受けるに意をもってする。孔子が「不憤不啓。不排不發。」(憤せずんば啓せず。排せずんば発せず。)と言うのは、孔子が新しい弟子につれなかったのは、自分の学を惜しんで弟子に伝えるのを遅からせようとしたのではなく、その人が憤排する(世のいろいろなことに憤って、これまでの慣習に疑問をもって新しいこと探し知ろうとする態度)を待ってからでなければ、これを説いてもその真意に入らず、ただその口耳をよくするのみだからである。すなわち自分が学問をするのはただ伝注をたくさん覚えこんで、その口耳をよくするためではない。その学問の精神を体得して、その心意をよくするのでなければならぬ。」と。

 

渇していた人が水を求める如く、問題意識を持てば解決方法を求めて止まぬ。本来の学問とはそういったものでしょうね。