【神の計らい】

本日は神の計らいによる「ABD旅行社・伊勢周遊ツアー」につきブログはお休みです。 ではない?

ではせっかくなので神宮の小話でも。

ちなみに伊勢神宮は「神宮」が正式名称であって、「伊勢神宮」は通称みたいなものです。

 

神宮の社殿は二十年に一度の式年遷宮を繰り返すことによって太古の昔から寸分たがわぬ姿を伝えていると多くの人が信じていますが、これは近頃のマスコミが不勉強のうえ平気で嘘を喧伝するので致し方ないと言えばしょうがないですが、実際はぜんぜん違います。

 

内宮・外宮ともに、各殿の寸法や殿地の大きさ、千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)の長さや太さ、飾り金物の種類や数、はては参道も樹林もなにもかも時代とともに変遷しています。どこがどう違うか書き始めるときりがないので、おおざっぱなことだけ述べましょう。

 

まず千木。現在、内宮内削ぎ、外宮外削ぎ ですが、古代は両方とも内削ぎでした。

鎌倉後期、内宮と外宮はその勢力を巡って対立した時代があり、アマテラス(女性神)に食事を運ぶ豊受(とようけびめ・女性神)が祭祀では内宮の属社と見られてしまうと憂慮した外宮側が、アマテラス以前の天地開闢の根源神・天御中主尊(あまのみなかぬしのみこと)や国常立尊(くにのとこたちのみこと)らの男性神が外宮を体現すると言いはじめた時代がありました。その頃より千木を外削ぎに変えたそうです。内削ぎは女性らしい穏やかさをあらわすのに対し、外削ぎは屹立した厳しい男性らしさをイメージさせるからだと言われています。

千木の長さや太さは遷宮のたび内宮外宮ともにどんどん立派になって、飾り金物等も追加されていきました。

長くなるので、あとは箇条書きで。

 

鰹木: 内宮十本(陰数)、外宮九本(陽数)、古代より数の変更はないですが、長さや太さが変わっています。

飾り金物: 時代で増えたり減ったりします。当初は金物は一切ついていません。徐々に増えて、いちばん派手になったのは大東亜戦争時です。その後は減っていきました。

社殿本体、殿地、古殿地: 毎回サイズアップしています。

神域: 江戸末期まで現在のような門塀もなく、なんと内宮正殿の目の前まで土産物屋や旅籠、一般住宅が連なっていました。明治政府の布告により五十鈴川以東はすべて撤去されました。

樹林: 鎌倉時代に植樹されたものです。

敷石: 室町時代に敷かれたものです。 

 

最後に二つの宝殿ですが、現在、内宮が正殿の背後、外宮が正殿の前となっていますが、これも江戸時代の内宮は正殿と宝殿が横一列に三つ並んでいたり、外宮では宝殿同士が中庭を作る形で向かい合う時代もありました。外宮の場合その形がもっとも古式だそうです。

 

遷宮のたびに、古法を復活させようという意見が出るようですが、現在の内宮と外宮の様々な対照的な違いが、対極の陰陽や、内宮・胎蔵界、外宮・金剛界の両部曼荼羅を表しているとできるので、配置に関しては明治二十二年(第五十六回式年遷宮)以降そのままで進められています。