「仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」
― 道元 『現成公案』
「仏道を学ぶということは、自己を学ぶことだ。自己を学ぶというのは自己を忘れることだ」
それに加えて、私たちは、自分の身心だけでなく、自分の中にある他人というものも脱落させないといけないというのです。
いま、社会に生きる人の抱える葛藤の多くは、この「他己」」を気にしているのが原因ではないでしょうか?
私たちはいつでも他者に囲まれて暮らしています。会社などへ行けば自分の立場しか考えていないイヤな上司がいて死ねと思っていれば、上司の方は生意気で役に立たない部下ばかりなどと思い、家に帰れば夫が(妻が)自分の労苦をわかってくれない、子供は親の想いなど考えず好きかってばかりしている。など
これらはいずれも自分の中に作った他者であるのです。そしてまったくほかの人の見方からすれば、そのイヤな奴を大好きな人もいるわけです。
その上司が上司になのは誰かに認められたからだし、部下がクビにならずに部下でいられるのは必要とされているからだし、その夫婦は同意して夫婦なわけだし、子供とは縁が切れない。
ということで、自分の想像でもって自分を苦しめているのですから、気にしてもしょうがないわけです。
あなたはあなたでしか生きられないのですから、苦しみを感じる思いを一度ぜんぶ消し去って、遠い空の上から、あるがままに自分を眺めてみたらいかがでしょう。
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