
絶対者というと、ふつう神様のことを思いますよね。
絶対と比べて、人間の社会というのは常に相対的なものです。
高級品と安物、美味いものまずいもの、広いところ狭い場所、リビングが100坪あればずいぶん広いですが、ゴルフをするなら狭いでしょう。
ですから絶対良いもの、絶対悪いものというのはなくて、全体の関係性の中の位置付けで事物の評価は変化します。
人と人との関係も同様、優秀な人劣等な人、金持ち貧乏、美人ブス、痩せている太っている・・・ これらはすべて相対的関係。
劣った人でも努力すれば優れた人になったり、でも相手の方がもっと頑張ってれば追いつかなくて序列に変化がなかったりと。
しかし我々の身近には、神様以外の絶対者が存在しています。もう死んでしまった人です。死んだ人は絶対に変わらない。
ある故人の評価がときに悪くなり、また見直されたりするのは、死んだ人が変わったのではなく、それを見る私たちや社会の方が一方的に変わったのであって、死者はけして変わりようがない。
そして死者は我々に身近にいて、いつでも影響を与え続ける絶対者であるのです。
この考え方から儒教の礼という制度があり、先祖崇拝や神社が生まれ、歴史を学ぶということが生まれました。
身近にある絶対者に伺いをたてないことは、とてももったいないことです。
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