【明の占術師】

中国・明朝の初期。

明朝を起こした洪武帝の四男・燕王は、その雄才をうたわれたのであったが、甥の建文帝*の治下、北平(現在の北京)の塞王(さいおう)*の位に甘んじていた。

 

あるとき、燕王の側近に、怪僧の道衍(どうえん)と、”神の占術師”と恐れられた、金忠(きんちゅう)が仕えた。

道衍は、「優れたこの王に、白い帽子を載せよう」と明言したという。王の上に白を置くと「皇」になる。燕王を皇帝位につけようというのだ。

 

1399年、燕王は道衍の勧めによってクーデターを起こす。

当初、北辺の精鋭とはいえ、わずか800人で決起した北平側は、金忠の立てた作戦に拠って徐々に味方を増やし、3年をかけて皇帝側60万人以上の大軍を打ち破っていく。

1402年、北平軍は、ついに明の首都・応天府(現在の南京市)を陥れ、建文帝は行方不明となり、燕王は明朝第三代皇帝に即位する。永楽帝である。

 

その後、永楽帝は中国史に名を残す大帝となるが、しかしその生涯のほとんどをモンゴルとのいくさに費やし、数度にわたる遠征の帰路、その命を終えることになる。

 

 

*塞王 = 辺境の防備を命ぜられた封建領主

*建文帝 = 洪武帝の嫡孫。二代皇帝。朝貢*を求めた室町幕府三代将軍・足利義満に「日本国王」の称号を与えた。義満は朝貢貿易で莫大な富を築いた。

*朝貢(ちょうこう) = 中華皇帝に臣下の礼をとり貢物をすると、何倍もの返礼を与えられた。中国側のお金で安全保障を買う方略。

 

ABD個性運命学