【優位を求めて】

さいきん巷で「マウント」「マウンティング」という言葉が流行っているようです。

 

マウントの本来の意味は、イヌなどが交尾の際オスがメスに馬乗りなる行為を指しています。サルは交尾の時ばかりでなく、集団内の個体間の上下関係を確認するためにも行います。

近頃は人もサル並になったのか、なにゆえ個体間で上下関係を主張しあうのでしょう?

 

人というのは、常に意味を求めて生きています。意味がなければなかなか生きられない。

 

なぜ働くのか? 食べるため。

なぜ食べるのか? 生きるため。

なんのために生きているのか? 生きがいがあるから。

どんな生きがいがあるのか? 生きている意味があるから。

どんな意味があるのか? ・・・

 

人のすべての営為は、突き詰めると「生きる意味があるのか?」という問いに行きつきます。

 

「そちらよりこちらのほうがよりうまく生きている、先に行っている、より重大な意味をもって生きている」と主張し相手よりも優位に立とうとするのがマウンティングをする者の意図かと思われます。

 

マウンティングは、世間の常識(アンカリング)から、自分が少し外れて見せることによって注目される効果を期待する手法です。

 

その他、生きる意味の大義名分、子育てのために生きている、社会のために生きている、国家のために生きている、宗教など神の意思に生きている、というのも、自分で意味を引き受けないことの逃避に他なりませんが、社会的には反論しにくいので論としては強く自分でも納得しやすいのですが、そのままで済ませているとマウンティング攻撃の餌食になりかねません。

 

けれども、私たちはすでに生きています。証拠さえ必要のない明白な事実です。今さら「意味」など、なんの役に立つというのでしょう? 

 

意味をあれこれ問うのではなく、生きていることをまるごと自分で引き受けることができれば、他者からのマウンティングなど、まったく意に介する必要はありません。意味からの逃避の必要もないでしょう。

 

個性を大切にするとはそういうことで、好き勝手することや、虚構を使って人に認められたりすることではありません。