【型あって中身なし】

中国の後漢末の書物に次のような記述があります。

 

「大学の書生三万人、皆斗筲(としょう)の小人なり。君子之を恥ず」

 

後漢末から三国の時代、賢者といえば諸葛孔明が思い出されますが、孔明自身は型通りのエリートコースをたどった人ではありません。

当時、明帝の頃より各地に教育機関ができ、大学の書生がたくさんいました。「斗筲の小人」とは、升で測るような一山なんぼの連中、ということです。こういうところからは、孔明のような英傑は出ませんでした。

なんだか、現代日本に通じるような話です。なんでもいいから大学を出ていいところへ就職して、月給をもらって年金をもらって型通りに死ぬまで生活する、というような時代は、もうとうに終わりました。

自分だけの個性を見つめ、個性を生かす学こそが、必要なこれからです。