【不昧】

禅の『無門関』という書に「百丈野狐(ひゃくじょうやこ)」というお話があります。

 

百丈和尚が雲水たちに毎晩説法するとき、部屋の隅に誰も知らない老人がいつも座って聴いている。ある日、説法が終わり皆が退出したのに、老人がひとりだけ残ったままでいた。

 

百丈和尚もふだんから気になっていたのか、「お前さんは誰だ?」と問いかけます。 

老人は「実は私は人間ではありません。裏山の狐です。

 

大昔、人間だった頃この寺の住職をしていましたが、ある雲水が『修行して悟りを開いた者は、因果律を受けないでしょうか?』と問うので、私は『不落因果(ふらくいんが)――悟りを得た者は因果の法則を受けない』と答えました。

その誤った答えゆえ、五百生(500回の生まれ変わりの間)の長きにわたり野狐の姿に落とされました。

 

どうぞこの身を憐れみ、正しい見解をお教えください」と。

 

百丈和尚、即座に「不昧因果(ふまいいんが)」と答えると、老人はたちまち大悟し、狐を脱して成仏した。

 

不昧という字は雅号などでよく使われますが、不昧は「くらまさない」という意味です。

 

つまり不昧因果とは、(因果律を昧らまさない)、悟りを得た人ほど、因果の法則をけしておろそかにしない、ということ。

 

悟りとは何か特異なことや超常的なものを知って悦に入るのではなく、当たり前のことを当たり前に受けとることなのだと、教えられます。