【個性・道徳・倫理】

”個性を大切にする”ということとの関係性から、「倫理」と「道徳」とについて違いを述べてみましょう。

道徳も倫理も、善悪に基づいています。

 

道徳というのは、既存の善(価値)を、すべての個々人に強制するものです。

 

倫理は英語では「ethics」、ラテン語では「ethica、元々のギリシア語では「ethos(エートス)」で、エートスとは本来「慣れ親しんだ場所」とか「動物の巣」などを意味します。

つまり倫理の語源は、自分が今いる環境に応じてどのように生きていくのかという問いがあり、それを考えて実践するということです。

 

道徳が誰かれ問わず上から価値観や判断基準を押し付けてくるものであるとしたら、倫理はそれぞれ個々に応じた、「組み合わせ」なわけです。

 

たとえば、おいしいフランスの高級ワインを買うとしましょう。本10万円ほどするので、世間よほど良いものなのでしょう。

お酒を飲むと陽気になるという人は、そのワイン至上の善だし、お酒が飲めない人は、飲むと気分が悪くなるので、そのワイン悪の買い物となります。

本来、ワインに善も悪もないわけで、それと組み合わさる人によって、はじめてそれぞれの善悪が生ずるのです。

 

組み合わせを考えるというのは、何と何がうまく組み合うかは、やってみなければあらかじめ分からないということでもあります。

ということは実験が必要になります。

だから遠回りしていろいろ試してみるのはけして無駄ではありません。

 

もともと道徳も、長い人類の歴史において、実験に基づいていたはずです。

それが忘れられて結果だけが残っているのです。

このワイン誰にでも良いものなのだ! 

というのです。

道徳だからといって拒否すべきではありませんが、ただ個々人の差や状況を鑑みずに強制されることがあると、自分への違和感とか、人を目的でしか見ない扱いなど、それが現代の苦しみの原因となっているのではないでしょうか。

 

個性運命学では、道徳も含めルールや法律や空気などを人から押し付けられるのではなく、または自ら隷属するのではなく、なにが自分のスタイルなのか、どういうのが楽か、自分らしい倫理とは、を見つけ出す実験を繰り返してみるのが、個性の確立には必要なものと考えています。