【個性の役割】

ニューヨークタイムズなどが、以下のようなことを報じています。

「日本では女性が天皇になれないなど、いまも多くの女性差別が存在している」

 

だそうですが、けれどもまぁ、私はそういう日本が好きです。

 

むかしは女性も天皇になれました。歴史上8人10代の女性天皇が存在します。以前から天皇になれないのは女性ではなく「女系の子」であって、これは男であれ女であれなれません。旧典憲および現皇室典範で「男系の”男子”」となったのは明治以降で、”いまも”というより、これは欧米の男系社会原理を輸入した近年の制度というべきです。

 

そして現在もそのままなのは、性差別による男尊女卑の問題というより、家柄を保存する方法の問題で都合が良かったからです。天皇制とは、家柄そのもののことであり、自家の男系男子で継承することによって、これはむしろ他家の男(婿養子など)を天皇制から締め出す原理です。相続を経験されたことのある方であれば、血族ではない養子がみんな持って行っちゃうケースなどを理不尽に感じたことがあると思います。

統治を親政しなくなった近世以降の天皇制とは、家柄を継承することのみであり、天皇とは家柄の中での役割ですから、「継承の可能性」の差別を受けているのは、他家の男性の方なのです。

 

例えば、どこの皇族の女性が自ら天皇になりたがって差別を受けたのか知りませんが、男性の皇后というものが存在したことは、あたりまえですが一度もありません。”男が母親”などを、誰が望んでいるというのでしょう? 

 

社会構造には、役割の分化というものがあります。それぞれの”個性”で役割を担うのが文明社会であって、これは相対性であって優劣ではありません。社会成員の個性を無視して役割が平均的にならされた無機質な社会がいいとは私には思えませんし、それを為すことは進歩ではなく未文明への退歩だと思います。

 

上のニューヨークタイムズの記事は単なる無知で浅薄な意見ですが、それは戸籍制度のない外国の記事だからいいとしても、愚かしいのはこれを国内の報道や政党が看過なり、女性蔑視問題の際あたかも「ほれ外国様がこう言っているぞ」と取り上げることです。 

 

ご存知の通り、いまだに女性がアメリカの大統領になったことはありません。女性のローマ法王というのもいません。制度が用意されているというだけのことで、当のアメリカでも民意はそれを求めてもいないのです。

民主主義とは何が正しいかを決めるルールではなく、何が皆の納得感を得られるかという制度です。理屈で他国を批判するのは、これは専制主義です。