【戦国時代】

日本の戦国時代初期、2月から3月の春先は国同士の戦闘がもっとも増える季節でした。一冬越した春先、昨年収穫した農作物が底をついてきますが、まだ山野に食えるようなものは育っておらず、一年を通じてもっとも飢餓状態になるのがこの季節です。

というわけで、飢え死にするくらいなら食料をぶんどりに隣国へ攻め込むわけですね。

 

当時の武士はふつう半農半兵で、領主は農作業の邪魔にならないよう耕作が休みの冬に軍を動かしたなどと語られますが、実態はそのように論理的なものではなく、単に食糧難が理由です。

敵に勝たないと家族が餓死するのだから、兵はそりゃあ必死です。その働きをうまく利用したのが甲斐国・武田信玄や越後国・上杉謙信です。

 

古来、尾張国は干拓や商業が発達した都会で、食糧に困らない尾張兵は根性がなく弱いことで有名でした。当時の織田は今川を滅ぼした桶狭間以降も、信玄や謙信にまったく勝てるわけないので、両者に信長は必死でゴマをすっています。

野戦を得意とした家康でさえ、三方ヶ原を通過する信玄に戦いを挑んで全く歯が立たず、脱糞しながらほうほうの体で逃げ帰っています。

 

やがて時が流れ、鉄砲が戦闘の趨勢を支配するようになると、専門知識や技能が必要となり、尾張で職業軍人が登場します。資質が弱小であってもその兵の運用次第で全国統一に迫った信長は、また別のすごい才覚です。

 

大河ドラマなどでは美化されることの多い戦国時代の諸々の美談ですが、そのような美学に生きるほど、当時の領民も支配者にもゆとりはありません。

信義を重んじたことでは戦国後期の大谷刑部や直江兼続が有名ですが、あれは秀吉の庇護の下で育ったおぼっちゃんや儒者の趣味のようなもので、関ヶ原で付き合わされる兵はたまらなかったことでしょう。

 

美談を人は好むが、人を動かすのは美学にあらず。

戦国の世の習いです。

 

ABD個性運命学