【忘れる能力・その2】   「周囲の人が忖度したのだろう」という記者会見を伝える米国の記事で「〝SONTAKU“ という言葉が日本にはあり・・・」と用語の紹介がされていました。

【Forgetting Ability ・2】

The Japanese word, “SONTAKU,” was produced on some articles to express situation where a man reads the unexpressed intention of another in United States.

 

 

単なるConjecture(推測)とか、… 

reading between the lines…(行間を読んで)

ではなく

 

「相手が気分良くなるであろう推測に基づいた行動をとること、とらないことが、日本における社会人の常識なのだ」

みたいな説明だったと思います。

 

記事で説明するほどなので、欧米人にとって

「忖度」はちょっと奇異に映ったようです。

 

米国では「始めに言葉ありき」というくらいで、言っても無いことは存在しないこと、なのでしょう。

 

日本人はたいへんです。

自分のことを考えるよりもまず先に周りのことを考える。

 

たくさんの人に周りを囲まれているほど考えることが多くなって自分を後回しどころか忘我の境地に至るほど、立派な人とされる。

 

この「忖度」はどこからやってくるのか? 

おそらく過去の失敗やつらい経験に懲りて、でしょうか。

 

しかし

欧米人もおそらく「失敗」はするわけで、異なるのは欧米人は失敗の「原因」を主として考慮するのに対して、日本人は失敗の「結果」を主として考えるのでしょうか? 

 

※(ここでいう欧米人・日本人というのは国籍の話ではなく、そういうタイプの人の比喩です)

 

怒られる、取り返しのつかないことになる、

だったら寝てたほうがマシ。

 

しかし寝てても食えないから、

じゅうぶんに気を付けながらやるか・・・ 

そうだ、

気を付けてやるのが社会人なのである、と。

 

しかしここに、

物事に対する本来の主体性は見られません。

 

人のことをまったく忖度しない野良猫やゴキブリのようになれとはいいませんが、ストレスをためないためには、欧米人程度でいいのかも。

 

「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」

「神は言っただけで、光はもとからあった」

 

これは信仰のある無し、なのかもしれませんが、それもまた信仰形態(日本人の)のひとつかもしれません。

 

解決策として、嫌なことは早く忘れて、とよく言われますが、結果は忘れる。

 

原因は忘れない。自分も忘れない。

という使い分けが必要なのかもしれません。

 

自分を知る。

行動を起こすタイミングを知る。

 

古今東西の王室や貴族、大商人らによって継承され、現代のエリートやエグゼクティブが利用する「帝王学」があるのです。

この伝統的な勝利への法則「帝王学」を現代に応用したのが「ABD個性運命学」です。