ABD個性運命学体験者様の声

「ABD個性運命学は、未来はもちろん、過去の人生まで大きな変化をもたらします」

 ABD個性運命学」 ケーススタディ(体験事例) 7つの話し   

 

 目次

 

①「経営の失敗、不幸のどん底」

   40歳男性 会社経営

 

②「生きる気力の喪失」

   29歳女性 フリーター

 

③「即効性がある」             

   53歳女性 歯科開業医

 

④「あるパラダイムからの脱出」

   33歳男性 会社員

 

⑤「人が怖い」             

   50歳女性 ABD個性運命学鑑定師

 

⑥「自分を取り戻す」          

   65歳男性 元公共団体理事長

 

⑦「本当に大切なものを知る」       

   30歳女性 会社員

 

⑧「受講者のみなさまの声」 

 

掲載の体験談、感想は、個人・団体の了解を得て紹介しています。内容は編集・校正の上掲載しています。通常は本人の同意、了承無くこのような掲載・開示はいっさい致しません。掲載の個人間に関するご質問、お問い合わせ等にはいっさい応じかねます。ご了承ください。

 


 

 

 

1.経営の失敗、不幸のどん底

 

【岡山市 40歳男性 後藤様】 


 岡山市のG様は、現在、県内・近県において飲食店一〇店舗を展開している。

 七年前に開店した小さな焼き肉店が評判になった。部位の豊富さや洒落たメニューで人気を呼び、一年後には二店目を出した。

「いやもう、思っとる以上に儲かりました。僕は大阪のステーキ店で働いていたのですが、地方ではこういうメニューの焼き肉屋は、当時は新しかったんだと思います」

 五年前には事業を拡張。新しくステーキ店と、しゃぶしゃぶ店を出店した。銀行融資を受け、スタッフも増員、会社の店舗数は四店となり、スタッフは十五名以上になった。

「二店のときで月商三千万円、営業利益は一千万円近く出てました。これと同じことを中・四国地方で展開すれば、一〇店舗で毎月一億、二〇店舗で二億、年で二〇億・・・ すぐ金持ちじゃ、と思いました」

 

 しかし、二つの新店を開店した直後のこと、同じ幹線道路沿いに、大手FC系の、安売りステーキと焼肉、食べ放題のしゃぶしゃぶをうたう大型店が進出してきた。

「あっというまに客足を奪われ、いっきにどん底でした。一年ほどして会社全体も赤字。貯金はすぐに底をつき、融資の返済まで遅れたりしました。銀行に追加融資を申し込んでも断られ、親戚や友人に借金をしてまわりました。運転資金節約のため、新しい店は臨時休業。いたしかたなく、半数以上の従業員を解雇しました」

 盛況だった元の店舗の客足も伸びないなか、赤字が続くこのままではどうにもならない、事業をすべて廃業しようと決めた。

「夜になると、生命保険で借金の返済ができるか? などと自殺まで考えるようになっていました。寝静まった妻や子供たちのことを考えると、情けない思いで、毎晩酒を飲んでは、ひとり泣いていました」

 

 その矢先、見るに見かねた友人の紹介で、紐解きを受けた。

 鑑定の結果、

「いまの廃業は時が悪いですね。行動は半年先が良いですね」と言われた。

「そんなの、まったく同意できませんでした。けど、資金繰りもうまくいかず、給料支払いと銀行の返済が優先で、家賃や業者への支払いも遅れがち。店にも顔を出さず、自己逃避している時期だったので、だらだらと放置したままでした」

 

 それから半年が過ぎ、その大型店の撤退が決まったのだという。開店から二年たらず、安いだけの肉は、顧客にすぐに飽きられたのだろう。さらに、融資を受けていた銀行から、その大型店撤退後の空きテナントを使わないか、という申し出があった。移転の設備融資に、これまでの融資残と今後の運転資金を取りまとめて融資できる、という条件だった。

「大家さんから銀行へ、物件仲介の依頼があったのだそうです。家賃は少し低くする。空調換気等おおまかな設備はそのまま使えそうだし、話はとんとん拍子に進みました」

 心機一転、あらたに開店。商売はすぐ軌道に乗り、売り上げも倍増していったそうだ。

「どんどん忙しくなり、スタッフ募集を出すと、なんと、以前に解雇した従業員のみんなが、戻ってきてくれたのです! いまとなると、廃業しなくて本当に良かったと思います」

「しかし、星里奏先生は、なぜあんな予言ができたのだろう? 偶然だろう、と疑ってました。星里奏先生に聞くと、予言といったものではなく、『窮すれば即ち変じ、変ずれば即ち通ず』ということです、と言われました」

 窮して窮して、窮乏の底に落ちたとき、必ず何かが変化する。その変化が起きた時、すでに通じる道ができている。紐解きを受けた時は、まだまだ落ちきっていたかった。落ちるところまで落ちると、命が動く。その変化をじっと待つのだ、と。

 

「自分が独立したころは、季節的にいいタイミングだった。その後の数年は冬の季節だったそうです。しかし苦しい時も、給料や銀行への支払いをちゃんとしていたことで、信用という種を蒔いてたのだ。この逆境が、このチャンスを招き、未来のあなたを創造したのだ。これを偶然と捉えるか、その偶然を創造したのか、それは解釈次第だ、と教えられました。最初の成功でがむしゃらに突っ走っていましたが、立ち止まって様子をうかがう時があるのだということです。三〇歳そこそこで、ちょっと金をつかんで、自分は、従業員や銀行、世間や、そして家族に支えられて生きているのだ、ということ、どん底に落ちなければ、気付かずにいたでしょう」

                                                                     

 翌年、隣県へ五店舗目を出店した。出店の時期や計画は鑑定を受けて決めている。今後も人生の岐路に立った場合、必ず自分のタイミングを見極めて、行動をしていくそうだ。

 2.生きる気力の喪失

 

【京都市 29歳女性 K.E様】

 

「私が、自分で不幸になると、願っている。ですって?」

 

「現在、苦しみへむけてまい進中。貧乏化計画実行中。病気になるため鍛錬中。」

 

 3年前、私の体重は100kg 身長は160cm。

 飼っていたロングコートチワワが病気で死んでしまい、夜は毎晩ベッドで泣いてばかり、仕事や家事をしていていも、前触れなく慟哭に襲われていました。病院で診察の結果、ペットロスによる重度のうつ病、と診断。

 両親や、周りの友人や会社の同僚からは「元気を出して!」と励まされましたが、内心ではもて余しているのがひしひしと伝わってきます。誰にも会いたくなくなり、会社も辞め、一人暮らしのマンションに引きこもりました。あたらしい犬を三匹飼いましたが、心の空白を埋めることはありません。処方された薬漬けの日々、毎朝毎晩となりのコンビニで食料を買い込んで、ひたすら食べ続ける。やがて体重が50kg以上増加し、100kg超。

 鏡に映る自分の姿が恐ろしくて見ることができません。着る服なんてまったくなくなり、いつもジャージ。外出しても、肥った身体をいつでも人が奇異な目で見てる、気がする。でもここまできたら、もうダイエットして痩せるなんて絶対に不可能。お金もなくなりそうですが、仕事なんてとうてい無理です。

 もう27歳、友だちは半分くらい結婚して、子育てをがんばってる人もいる。私は犬が死んだくらいで、このありさま。私なんて、生きている価値がありません。かといって、死ぬ勇気もない。

 これはさすがにダメだわ、と、友達に相談。こう言われました。

 

「すごい信念よね。ダメになろうとする願望を、すばらしく実現させている。」

 そんなわけないじゃないですか。

 しかし、このままでも、まったく仕方がないので、その友達の誘いで「ABD個性運命学」の基礎講座をうけました。

 

「人生では、それは良いときもあるし、どうしようもない動かしがたい宿命が待ちかまえているときがある。あなたはその悪い宿命の時点を、さらに増幅させて、ここまできているのです。自ら、不幸と仲良くなってしまいましたね。」

 そんなつもりはないんだけどな・・・

 

「いまから痩せるとか、自信を取り戻すなんて簡単です。まず、自分がどうなりたいか強く願う。毎日願う。何がいちばん大切か、やりたいか、優先順位を決める。そして、どうですか? あなたはいま、良い星の巡りですよ。何かを始めるのにとてもいい時期のようです。いまからはじめれば、願いは必ず実現しますよ。」

 

 講義が終わっても、頭の中では疑いが晴れなかった。けれど、たしかにその通り、すごく簡単にも思えた。

 でも、強く思うだけで実現するなんて、そんなことあるわけない。そんな楽なら、みんな苦労なんてしてない。だってダイエットっていっても、何年かかるかわからないじゃない。いいこと言うだけならタダだわ・・・ え? ちょっとまって、なにこれ、いま自分で、私なに言ってるの? これが不幸と仲良くなってるってことなんじゃない!

 

 つまらない考えをやめたら、すこし心が楽になった。

 

 引き続き、プラクティショナーコースを申し込んだ。いっしょに講座を受けている人たちを横目で見て、すぐ気づきました。みんな、自分を変えようとしているんだ。私も、このまま部屋にこもってくさってても、ほんとうに死ぬしかない・・・

 講座が進んで、いろいろな事例を聞きました。数多くのことを学びました。回を重ねるごとに、自分で自分を信じてあげられるようになっていきました。

 

 

 まず、いまの自分が、何者かであるのか、知る。

 この先の自分が、どうなりたいのか、変わりたいのか、決定する。

 自分になにができてなにができないのか、やりたいのかやりたくないのか。

 なにが欲しくて、なにがいらないのか、自分がなにに囚われているのか考える。

 いらないものはすぐ捨てる。ネガティブな囚われも即捨てる。

 叶えたい夢や、なりたい自分を具体的に、徹底的に頭で想像する。

 想像したら脳に刻み込む。毎日毎日想像する。なんならノートへ書く。

 それが実現した自分をリアルにイメージする。

 痩せてる自分、元気に働いている自分。明るく友達と楽しんでいる自分。

 空想家か、と思うほど、毎日イメージする。

 やがて、おのずと、そのための行動の方法や手がかりが見えてくる。

 行動のタイミング測る。あせらず、衝動的にならず、いちばん良い方法を選び、的確な時期をじっと見定める。

 やがて想像は創造へと至る。

 

 

 こんな簡単なこと? 

 

 不幸な人は、自分で不幸だと思ってる、ダメと思っている、できもしない、無理だ、不可能だ、外部のせいにする、知ったかぶり、達観してるつもり、冷静なふり、偉ぶる、ひねくれ、そのように自分から逃避する。のだそうです。少し前の私ですね・・・

 

 これは、成功した人は誰で知っている、当たり前のこと、なのだそうです。

 

 3.即効性がある 

 

【東京都大田区 53歳女性 K様】

 

 以前、基礎講座を受講いただいた、東京都大田区で医院を営むK様より、自宅兼診療所の建物の家相の相談をいただいた。テレビのワイドショーで中国風水のことを見て、自分の家がそれとはまったく異なる配置であることが少し気になったのだという。我々の方位学は中国風水とは異なるものだが、似通ったところも多い。鑑定の結果、診療所部分は良い配置だったが、自宅部分は建物の配置からしてまったくの凶兆であった。しかし実際に建て直すわけにはいかず、改修する暇もゆとりもないという。

 「仕事の関係上、改築など不可能だ。仕方ないとあきらめた」

 が、次の助言のひとつが、記憶に残って離れなかったそうだ。

 

 「寝室に鏡を置くべきではない。それは別な人の出現を暗示するからです」

 なんだか怖い、もよう換え程度でも効果があるのなら、その指導を受けて実践したいとのことだった。

 それまで寝室であった北東の部屋を客間兼書斎に換え、寝室を客間だった南西に配置、ベッドの頭を南向きにした。二か所あったトイレの北側部分の便器を撤去し書斎と貫通してメイク専用ルームに改築した。東側の窓を塞いでいたタンス類を移動し、西側の窓を家具で塞いだ。南東方向へ向いていた東側玄関外部にフェンスで仕切りをして動線を東方向へ変えた。アプローチに並んでいた鉢植えや観葉植物類は、南側の日当たりのいいベランダへ移動した。玄関ドアがネコのひっかき傷等で傷ついていたので新品に交換。敷地北東角に水鉢を設置した。玄関周りの家具類を撤去してすっきりと片付けた。

 改善は以上であったが、効果はわずか二日ほどで現れたという。

 「ぐっすり眠れるようになり、疲れが一晩でとれるようになった。嫌な西日が差しこまず、家屋内が落ち着いた雰囲気になった。これまで化粧など適当であったが、明るい専用ルームでせっかくだから、メイクアップの関心を取り戻した。ついでにヨガに通うようになった。肌の色つやが良くなり、食欲が増した。娘に若返ったと褒められた。毎晩残業で帰宅が深夜だった主人の勤務先で移動があり、夕方帰ってくるようになって食事などの家事が楽になった。夫婦の会話も増え、就寝前にお酒を楽しむようになった。毎週末訪ねてくる友達が長居しなくなった。」などである。

 

 我々の方位学はインド・ヴァーストゥを基礎とするものだが、原典スターパティア・ヴェーダの思想は、メソポタミアやエジプトから伝わった神殿建設の天文学が元となっている。そこへ、住まう人や用途の目的に応じて、我々の鑑定による日時やタイミングを加味している。家や職場は、人生のほとんどを過ごす場所であるから、けしてなおざりにしてはならない。

 

 その後、K様の長女が医学部へ進学したのをきっかけに、医院部分を別の場所へ移転、新築することを決めたという。敷地の購入から、建物の配置、方角まで、現在相談を受けながら計画を進めている。

 

 

※当協会は鑑定助言のみで、設計の実地、不動産、工務店のあっせん等は一切いたしておりません。

 

4.あるパラダイムからの脱出

 

【奈良市 33歳男性 F.S様】

「社畜だな、と思いました。」

 

 F.S氏は、現在トレーナー・トレーニングコースを受講中である。

 F.S氏は、法学部・労働法専攻で卒業後、大阪府内の大手電機メーカーへ新卒入社した。入社5年目、人事課に在職中、会社が経営破綻。F.S氏の所属する事業部は同業他社へと売却された。

「新会社で私は営業部へ配属され、すぐ香港へ転勤となりました。2年後、会社がまた関連他社へ転売されます。帰国して人事部へ再配属。そしてまた1年後、3度目の転売がありました。そのつど旧社員を振るい落とす継続採用試験が行われます。私はなんとか生き残ってきましたが、入社したころの同僚は1割ほどになっていました。身売りのたびに上司も変わり、研修以外では事務職経験しかない私が、とつぜん工場内の生産管理部門へ移動、その次は工程ラインの管理者と、まったく希望もせず、一からスキルを習得しなければならない業務を転々としました。人手不足で残業は月間平均70時間を超え、ラインは24時間稼働なので土日も緊急呼び出しがあれば出勤しなければなりません。数年前に会社の近くに自宅を購入したので、呼び出しも他の人よりまだ楽であったかもしれません。二人目の子供が生まれ、家のローンがはじまったばかり・・・」

 

「15年ほど前に同じ会社を定年退職した、近くに住む義父に会社の現状を報告すると、そんな苦労は若いうちだけや、借金あったら会社辞められへん、がまんしたもんの勝ちや、などと、高度成長期の年功序列時代の価値観を語るのみです。そして近ごろ、また工場の身売り話が出ているとのこと・・・ 泣き言を言っている場合ではないのですが、精神的に参ってしまった私は、病院で診断を受けてみることにしました」

 F.S氏は診断の結果、休職を進められる。過労の診断書があったが、業務が原因の病気・休職を、会社はけっして認定しないのだという。上司と相談のうえ、たまっていた有給休暇で一か月間の休暇を取ることが許可された。休みを利用して、ABD個性運命学のプラクティショナーコースの講座を受けてみることにした。

 

「こういうもののきっかけは、会社が定期的に希望社員へ提供する、心理カウンセリングの取り組みがはじまったことでした。カウンセラーは社外の有資格専門家で、おおいに期待できそうでした。というのも、人事にいると、私のような若僧でさえ、社の老若男女からいろいろな相談をうけます。相談者は藁をもすがる思いだったのではないでしょうか。会議でも国や自治体の要請に応じて、どのように具体化していくかよく議題となっていました。」

 

 メンタルケアに対する昨今の国や地方自治体、関連業界の取り組みは並々ならぬものがある。膨大な予算と人員を投入し、複雑な指導システムや組織を構築。カウンセラー等の資格取得も多くの研修時間や難関な試験を設定している。就業者の労働環境や勤労意欲は経済動向に直結するからだ。

 しかし、F.S氏は面談を受けて、すぐ落胆に変わったという。

 

「自分や会社のことを伝えようと相談を始めました。しかしカウンセラーは、とるにたらない質問に終始し、こちらに話をさせて聞くのみで、これはいくら続けても、有益なことはなにも応えてくれそうにない、というのがわかってきます。こんなものなら自分でやるほうがマシじゃないのか、まったく時間の無駄だ、と。その後、カウンセリング関係のいろいろな資格等も調べてみましたが、どれも腑に落ちません。国が用意したものは、体制はすごく豪華ですが、肝心の中身がまったく無い!」

 

「自分が受けるなり、人に提供するなり両面から考えました。カウンセリングは紙に書いてある法律を扱うとのはわけが違います。人間のドロドロとしたつかみどころのない精神が相手なのです。しかも人それぞれ同じものはひとつとして無い。この圧倒的な現実を前に、マニュアルだけで様々な理由で困っているいろいろな人たちの解決策を、それぞれに提示できるとは思えませんでした。」

 

 最初のステップである、プラクティショナーコースを受講して、F.S氏は次のようなこと考えたという。

 

「当初、ABD協会の講座で語られる、帝王学とか陰陽とか、関心が無いのでよくわからないうえに、ちょっと非科学的だな、とも思いました。しかしよく考えてみると、人の精神という目に見えないものを扱う場合、行動の依って立つ足場がいちばん難しく、かつぜったいに必要で、これを何に依拠させるにせよ、ABDにはそれがありそうだった。学者や専門家を動員して科学的な合理性を装ってみても、中身が空っぽなものよりは、はるかに有効です。※」

「さらにABDのそのしくみ、個人それぞれのタイプを決定し、個別ごとの対応、問題解決というシステムは、個々人が相手の労務問題やキャリア開発などに、これを組みあわせていけば、需要があるのかもしれないな、と考え始めました。」

「私は人事に在籍中、社会保険労務士の資格を取っていました。年金の仕組みに興味があったのと、報奨金と資格手当を目当てに取得したのですが、それで独立までは考えていませんでした。けれど、自分の不本意だったこれまでの職歴を踏まえて、問題を抱えている人たちの一助となれたなら・・・」

 

 自分が独立開業する、という光が見えたとき、これまでの自分の考えが、なんであったのか、気づいたという。

 

「生活がある以上、会社を辞めるわけにはいかない、が、ずっとこれまで、仕事に打ち込んでいるというよりも、ただ会社へしがみつくのに精いっぱいだっただけだ、いや、しかしローンや親類や人の目もあるし、やはり辞めるわけにはいかない・・・ という堂々巡りに、自分は固着しすぎているのだと気づきました。いわゆる“価値観の奴隷”です。私の人生は、私が選択して作っているというよりも、他人が作っているのだ、自分ではない誰かが要請する、時代おくれの役立たずなパラダイムから、もう脱出しなければならない、と。」

 

 F.S氏はこの春、会社を退職し、総合法務事務所に就職予定だ。実務の経験を積んで、講座を最終段階まで修得し、独立を目指しているとのことだ。

5. 人が怖い

 

【大阪府八幡市 50歳女性 Yさん】

 

 ABD個性運命学・鑑定士である、八幡市にお住いのYさんは、7年前にご主人をなくされた。

 Yさんの夫は、代々つづく老舗料亭の跡取りのご主人であったが、働きざかりの50歳のとき、心筋梗塞でとつぜん亡くなられた。他界後、料亭事業と不動産を売却することになった。そのまとまった遺産をめぐって、相続争いが生じたという。

 

「うちとこは子供ありませんでした。親ももうおりませんから、主人の兄弟も相続人なるんです。」

 

 民法は、この第3順位相続の、配偶者と兄弟姉妹が相続人である場合  配偶者3/4 兄弟姉妹(2人以上のときは全員で)1/4 と定めている。

 相続財産の大部分は料亭の事業と不動産であり、料亭は分割すると事業価値を失うので、一括売却して現金で分配するか、株式化して分割ということが現実的だったが、その取り分の比率を兄弟姉妹が同意せず、まったく相続手続きが進行しなかったのだという。

 

 

「とくに恐ろしかったのは、主人の東京の兄という人でした。毎晩のように電話をかけてきて、あの店は自分たち一族がずっと大切に育ててきたものであるのに、おまえに子供ができないから、他人の手にわたるのだ、と。申し訳ないと思わないのか? 店を残したいなら、預貯金分をやるから、その他の相続分は辞退しろ、と迫ってくるのです。その後、電話出るのをやめたら、内容証明郵便まで届くんです。」

 

 このことは、弁護士に依頼の上、数年の裁判を経て事態が解決するのだが、これ以降、人間不信になってしまったという。

 

「私は学校出て18でいまのとこに嫁いできたので、一度も仕事をしたことがないんです。店でも手伝おうと思いましたが、義姉が女将でとりしきってましたので、あんたは家をしっかり見とけいわれて、出入りさえさせてもらえへんのです。主人に死なれて、手に職もありません・・・」

 

 預貯金があったのでとりあえずの生活には困らないが、少しでも仕事をしようと考えた。自分には子供がなかったが、大の子供好きであったので、近所の小学校で学童保育の先生のアルバイトを始めた。

「私は性格が、もともとあんまり積極的ではないんです。引っ込み思案いうか、言いたいこともはっきりできず。そのせいか、人にからかわれたり、いらいらさせたり。あの相続のことがあって以来は、もう人が恐ろしく恐ろしくてたまらなくなりました。子供を相手にしててでも、ときおり子供の言うことさえ恐ろしいときもあります。」

 

 

 Yさんが唯一の自信を持っていたことは、年に数回行われる神社の祭礼で、雅楽の龍笛を担当して演奏することだった。子供のころから親しんだ笛の腕はプロ並みで、謝礼はわずかなので職業とはいえないが、神社の仲間は、彼女を支えた。

 その神社関係者から、ABD個性運命学の講座に誘われた。仲間と誘いあって外出するのは楽しいが、Yさんは、いつものごとくあまり積極的ではなかったらしい。

「こういう勉強をするのは楽しいのですが、けど、じっさい相談を依頼されでもしたら、とんでもない、と怖いんです。私のような気の弱いものが、ましてや社会の経験もないのに、人のこととやかく言うて、進路を助言するだなんて、ぜったいに無理や思いました。」

 

 しかし、講座内での仲間もでき、ステップを重ねていく。もともと真面目なYさんは、2年あまりで課程を修了し、鑑定士として、鑑定の仕事を受けられるようになった。当初は友人や友人の紹介で鑑定を始めて、通常の依頼者の鑑定をこなしはじめてからは、次のように感じたという。

 

「どんな人であっても、人間は、自分を知るということが一番魅力的なものなのですね。だから、頭が良くて積極的な人が、理屈をなんとかかんとか言っても、つまらない易者や予言者みたいなのでも自分のことを言われると動かされてしまう。社会的に少し偉くなって、複雑な問題や手の打ちようがない試練にぶつかると、平生のうぬぼれがきかなくなって、どこそこにそのての明るい人があると聞くと、やはり行って聞いてみたい、聞いたら気になってしょうがない。みんなそれほど自信のないものなのです。」

 

 Yさんは、人がまったく怖くなくなったらしい。鑑定士と依頼者という立場になるだけで、自分のような気の弱い者が言うことを、偉い人がまじめに聞いてくれる。彼らも、自分とそんなには違わないのだと。

 

 

 余談だが、相続の裁判が始まってまもなく、東京の義兄が事業の失敗で自己破産したそうである。後になって考えると、あの執拗さは、家業のことなどとやかくいいつつも、単に借金にまわす金が欲しかっただけなのだろう、と思ったら、子供を作れなかったことで店を失ってしまう申し訳なさ、それが、きれいに消え去ったという。

「汝自らを知れ」と昔から言われるが、これがなかなかわからないものである。

 

6.自分を取り戻す

 

【東京都世田谷区 65歳男性 中竹様】

 

「易」は「かわる」という意味であり、万物は限りない創造の変化である。

創造はひとつの変化であるから「化」とも言う。

易、化による自己、人生、社会、宇宙の創造変化は、どうにもならない絶対的な運動であり、これを「命(めい)」という。

生命はひとつの命であり、大いなる宇宙の作用である。これが「天命」である。

人間には意識、精神という心があるから、生命に立心偏をつけると「性命」という言葉になる。

宝くじが当たった、車がぶつかってきた、これを運がいいとか悪いとか、俗では使うが、それは「宿命」であって、運ではない。宿は泊まる、停止するの意味であり、いちど停滞することである。

「運」は「運ぶ」と読む。

「運命」とは命を運ぶこと。すなわち自分で運ぶものである。

運命は、人間に与えられた知性、理性、経験によってこれを研究し操作することができる。

人が創造に参加することを「造化(ぞうか)」という。

造化された運命が、また生命に跳ね返り、そこに思索、反省となり、また易(化)が起こる。

目に見えない「運命」と、形となって現れている「生命」の交歓。

ここに「陰陽の原理」を見るのである。

 

 このような陽明学的な話を、この講座で、若くて奇麗な女性の先生から聞けるとは、思いもよりませんでした。

 私は東洋思想が好きで、定年退職後、研究というほどではないが、そういう本ばかり読んでいます。儒教であれ老荘であれ、神道であれ、必ずこの「易」の解釈が必要です。ところが常日頃、この重要な「易」の学問が、マスコミをふくむ世間で俗にされ、曲解され、非科学的で、とても軽くあつかわれていることに腹立たしく思っておりました。「易学」などという時代遅れな好事家である私は、死した化石であろう、しかし昨今の、浅薄な能力主義と言いますか、それを評価する風潮に、どうしてもなじめない。

 

 しかし、感激いたしました。この講座には若い方も多く参加されていて、熱心に勉強されているのを見てとても嬉しくなり、まだまだ日本人は捨てたものではない。なにか、自分の価値観や生命を取り戻したような気がしています。

 人間の力というものは実に非力なものでありまして、人生には我々人間の思想や才覚の及ばない、大きな生命の流れ、大きな力の動きというものがあります。ながらく続く唯物論に収束されない、この講座のような取り組みが、今の時代に静かでも確実になされていることは、まことに素晴らしいことです。

 

 ますますのご発展をお祈り申し上げます。

 

7.本当に大切なものを知る

 

【名古屋市 30歳女性 U様】

 

 私は東京の大学を出て、地元に帰り、まぁまぁ良いところへ就職。

 一人っ子なので、実家から職場へ通ってるので、貯金できます! 結婚が決まった彼もいて、趣味は年に二度の海外旅行。今年のGWはキューバへ!

 

 ただ、ちかごろの心配事は、すっかり小さくなった母。

 そして、ちょっと痴ほうぎみじゃないの? という父。

 ちかごろのお父さんは、くだらない占いだか易だか、なんだかかんだかに凝ってて、いつも留守。

 たまに家にいると、私のことを、とやかく言ってくる。

 結婚するなら来年がいいとか、そのうち孫ができるなら、今から家を増築しとこうか、とか。

「知らないわよ!」

 おまえもいちど、見てもらうか、と父。

「そんなもの当たらないわ!」と私。

「そんなことに凝ってる暇があったらね、お母さんを旅行へ連れてくとか、もっと家にいて話し相手でもしてあげなさいよ!」とも。

「いや、すまん・・・」と父。

 

そんな父が、先日亡くなった。

母と遺品の整理をしていたら、分厚いノートが見つかった。

私のことばかり書いてあった。

私が生まれた日、私が立ち歩きした日、私が幼稚園へ入った日、小学校へ入った日、高校受験した日、泣いていた日、大学を卒業した日・・・・

結婚に良い時期や、孫ができる年まで書いてあった。

 

涙が止まらなかった。

 

 

掲載の体験談、感想は、個人・団体の了解を得て紹介しています。内容は編集・校正の上掲載しています。通常は本人の同意、了承無くこのような掲載・開示はいっさい致しません。掲載の個人間に関するご質問、お問い合わせ等にはいっさい応じかねます。ご了承ください。

一般社団法人Astrology Bio-Rhythm Deciphered協会