ABD個性運命学体験者様の声

6.自分を取り戻す

 

【東京都世田谷区 65歳男性 中竹様】

 


「易」は「かわる」という意味であり、万物は限りない創造の変化である。

創造はひとつの変化であるから「化」とも言う。

易、化による自己、人生、社会、宇宙の創造変化は、どうにもならない絶対的な運動であり、これを「命(めい)」という。

生命はひとつの命であり、大いなる宇宙の作用である。これが「天命」である。

人間には意識、精神という心があるから、生命に立心偏をつけると「性命」という言葉になる。

宝くじが当たった、車がぶつかってきた、これを運がいいとか悪いとか、俗では使うが、それは「宿命」であって、運ではない。宿は泊まる、停止するの意味であり、いちど停滞することである。

「運」は「運ぶ」と読む。

「運命」とは命を運ぶこと。すなわち自分で運ぶものである。

運命は、人間に与えられた知性、理性、経験によってこれを研究し操作することができる。

人が創造に参加することを「造化(ぞうか)」という。

造化された運命が、また生命に跳ね返り、そこに思索、反省となり、また易(化)が起こる。

目に見えない「運命」と、形となって現れている「生命」の交歓。

ここに「陰陽の原理」を見るのである。

 

 このような陽明学的な話を、この講座で、若くて奇麗な女性の先生から聞けるとは、思いもよりませんでした。

 私は東洋思想が好きで、定年退職後、研究というほどではないが、そういう本ばかり読んでいます。儒教であれ老荘であれ、神道であれ、必ずこの「易」の解釈が必要です。ところが常日頃、この重要な「易」の学問が、マスコミをふくむ世間で俗にされ、曲解され、非科学的で、とても軽くあつかわれていることに腹立たしく思っておりました。「易学」などという時代遅れな好事家である私は、死した化石であろう、しかし昨今の、浅薄な能力主義と言いますか、それを評価する風潮に、どうしてもなじめない。

 

 しかし、感激いたしました。この講座には若い方も多く参加されていて、熱心に勉強されているのを見てとても嬉しくなり、まだまだ日本人は捨てたものではない。なにか、自分の価値観や生命を取り戻したような気がしています。

 人間の力というものは実に非力なものでありまして、人生には我々人間の思想や才覚の及ばない、大きな生命の流れ、大きな力の動きというものがあります。ながらく続く唯物論に収束されない、この講座のような取り組みが、今の時代に静かでも確実になされていることは、まことに素晴らしいことです。

 

 ますますのご発展をお祈り申し上げます。


※掲載の体験談、感想は、個人・団体の了解を得て紹介しています。内容は編集・校正の上掲載しています。通常は本人の同意、了承無くこのような掲載・開示はいっさい致しません。掲載の個人間に関するご質問、お問い合わせ等にはいっさい応じかねます。ご了承ください。

一般社団法人Astrology Bio-Rhythm Deciphered協会