【致良知】

昨日ややこしい話しで途中やめしましたが、その朱子学から時代が下り、明代になって現れた王陽明先生は、段、かたくるしく清貧に甘んじて欲望を押さえることだけが修養ではない、としました。

 

人には自然の欲望があるということを認めた上で、ならばその欲望を、正しく発揮せよ。と言っているのです。

 

「致良知(ちりょうち)」、すなわち、自分を鑑み、世間をも見、やむにやまれず心にほとばしる心情が沸き起こったならば理屈や法で抑え込むより、その無作為の発露を善しとしました。

 

逆にいえば、作為的な、たとえば報奨や栄誉の獲得など、利己心を目的とした行為は人欲であり私欲あるからであるとしました。

 

世のためとはいえ、もしかするとその行為で破滅に至るかも知れない。

これはある意味ヤケクソであるともいえます。

 

それでもその情熱が世の中を変えていくということを為せとしした  

(日本では吉田松陰あたりがその考えを引き継いだようです)

 

個性運命学は、道徳的なルールに沿って生きることは無論、そういう後悔しない生き方(死に方)も推奨します。