【宇宙の原理】

宇宙の原理について宇宙物理学者や理論物理学者の間では、常に二つの論争があります。

 

「コペルニクス原理」

「人間原理」

(以前いつだか書きかけてほったらかしてるような気もします)

 

現在の宇宙は、人間を含めた生命に対して、ずいぶんと都合よくできているように見えます。

宇宙は誕生初期のわずかな物理条件の違いで、生命はおろか、惑星も恒星も、物質さえも生み出せない確率の方がはるかに高く、現在の我々の宇宙のように物質ができ、星ができ、生命まで生まれるなどという確率は、理論実証的には数億分の1、数兆分の1の確率の(この確率はいろいろ設定できますが、つまり非常に低い)奇跡で我々の宇宙は出来上がっています。

 

宝くじの当選より何百倍もありえない確率で、我々の宇宙は生命を生み出した。

これはいったいどういうわけであろうか? と、科学者らは考えるわけです。

そこで二つの考え方に分かれます。

 

コペルニクス原理とは、

無数にある宇宙の中で、奇跡的な確率で知的生命を生み出したこの宇宙に、たまたま我々がいるからそのシステムを奇跡的と捉えてしまうのは当然であるが、他ではいくらでも、奇跡を起こさなかった無人の宇宙や、星も物質さえもない宇宙が存在している。

という考え。

 

人間原理とは、

仮に宇宙が無数に存在するとしても、認識主体(知的生命)によって認識された宇宙のみが「宇宙」なのであって、認識主体を生み出せなかった宇宙はその宇宙の存在を認識するものが誰も居ないのだから、存在しないのである。

認識された宇宙は認識主体が生まれるようにあたかもデザインされたように見えるのは、認識主体が宇宙を観測するのだから、認識主体の側が認識の対象そのものを作り出しているのであって、奇跡とか確率など問題とはならない。

という考え。

 

科学的態度を貫こうとする科学者は、当然のようにコペルニクス原理を取ります。

つまり宇宙はありふれたもので、その中で生命を誕生させた宇宙もいくつかあるだろう。と。

 

しかし意外に、人間原理をとる学者も多いのです。スティーブン・ホーキングらがその代表で、この考えはいずれ絶対者の存在や、14日にお話した仏陀の教えを要請するものです。

そりゃそうで、宇宙と定義づけたのは人間の勝手であって、宇宙は「私は宇宙です」などと自己紹介していません。

 

皮肉なことに、マルチバースや並行宇宙論など、摩訶不思議な理論を提唱するのはいつでもコペルニクス原理主義者たちの方なのです。彼らは物理の法則へ神や人の精神を持ち込めないので、いろいろ頭をひねって奇妙な原理を仮説するのですが、この宇宙はすごい偶然による奇跡だ、と言っているのは彼らの方なのです。

 

これらは、宇宙の原理に対して科学者らが考えに考えたあげく、無神論をとるか、有神論または汎神論を取るかの差異ですが、無神論をとる方がよほど神秘的になっちゃう例です。

見たことないから、証明できないから、非科学的だから神様なんていない、というのは単なる「無知」であって、「無神論」とは大きく異なるものです。

 

「ABD個性運命学」