【What about…】

クリスマスを過ぎ、敬虔につつしみ深く思いを巡らせてみますと、日々当書き込みにて、ともすれば説教くさいことを読者の皆様に宣ってしまっているわけですが、「偉そうに言うが、そういうお前はどうなんだ?」と言われると、私もたいした人間ではないので隠れる穴もございません…

 

こういう論法を欧米では「Whataboutism」(そっちこそどうなんだ主義)といいます。冷戦時代にソ連で多用された論法で、西側諸国がソ連の人権抑圧を非難すると、「そっちこそ過去に奴隷制度があっただろう」とやり返し、批判を無効化するやり方です。

 

この論法はたいへん便利ですから今でもよく利用されています。評論家の論争やネットの批判のしあいはほとんどこれです。

 

この手法、古くの元祖はおそらく聖書だと思われます。姦淫した女は石打ちの刑に処されると決められていましたが、イエスは「この中でまったく罪のない者だけが、石を投げなさい」といい、誰も投げられなかった、というやつです。『ヨハネ福音書』

 

けれどもこれつきつめていけば、そうなると批判や指摘ができる資格は、まったく無謬の人物か、世界でいちばん悲惨な生活をしている人でなければ、いっさいできなくなってしまうということです。

 

この論法の最大の欠陥は「おまえに言われたくない」「言う資格がない」と互いのきれいごとを打ち消しあっていけば、世の中はどんどん汚れた世界になっていくということです。

正義の主張や批評をする権限を限定すればするほど、正義や批評が存在する場所が狭まってしまうということであり、それであとに残るのは、もう堕落だけではないでしょうか。

 

というわけで、こいうった論法に屈することなく明日からも説教めいたことを続けていきたいと思います。無論自戒を含め。