【予定説】

「予定説」という考え方があります。プロテスタントの主にカルヴァン派が主張したものです。

人の生死は、過去も未来も決定する全能の神によりあらかじめ予定されているのだから、絶対者である神が、人間ごときのいかなる行為によって、考えを変え計画の変更などするはずがない。つまり、神を敬おうが信ずまいが、善行を積もうが悪行を働こうが、その人の定められた運命はけして変えることができない、という考えです。

 

もしこれを信じるなら、「なにをやってもムダなんだから」と、諦念に陥ってしまいそうなものですが、不思議なことにこのプロテスタントの概念を取り入れた国々の方が、人々が勤勉になり、いちはやく先進国になっていきます。

 

「自分は邪悪なものではない。神によって選ばれた、善人を予定された人物である」ことを、強く自らが信じたい、他人に証明したいと、勤勉に働き、公共に道徳的にふるまおうとする人が、増えていったのです。

 

逆に、教会によって「善行を積むのが神の国への入り口」、つまり人の行為によって神の考えは変わる、と教えられたカトリック派のほうが、かえって人々が利己主義に走り、公共のことに怠惰になって、国家が発展しませんでした。

 

マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、この奇妙で複雑な人の心理を解き明かした本です。

 

動かしがたい宿命を超え、人に運命を運ばせるには、なにか逆説的な教えも、ときに必要なのかもしれないですね。